「今年朝霧に行くの、私と○○ちゃんだけだからさ、一緒にいかない?」


と誘われるまでは、あまり朝霧に行くつもりはなかった。最後に行ったのが2004年だから、もう8年もいってない。それだけ行ってなければ、自分から好き好んで「行こう」とはなかなか思わない。せっかくさそってもらって、あとちょっとした用もその友人にはあったので、行ってもいいかなと思って、なんとなく以前の朝霧の写真を見返してみた。そしたらそこに写っていたものは、2012年の今では完全に忘れ去っていた光景であった。


フジロックには毎年行っているけれど、所謂「Fujirockers」を自称する気にはさっぱりなれない。その(逆説的な)理由がそこに写っていた。10代の自分を含めて、そこにいるみんなが生き生きとして写真に写っている。みんな飛び跳ねまくってる。なんだ、この写真は!?ここ数年、この人たちには毎年会っているけれどこんな飛び跳ねてるところは全然見てないぞ。その写真に写っていたのは僕が大好きだった野外フェスの光景だった。もう何年も見ていない。


「自由には責任が付いて回る」確かにその通り、でも、あの頃のあの空気、なんていうかね、あれは今では許されない「無責任な自由」だったと思うんだよな。「無責任」だと表現が悪いかもしれない。でも、とにかく「てきとう」だった。だけど、朝霧で言ったらそういうことが許されたのは第2回目(2002年)の時まで。2003年から、突然来場者が増えて、自分が求めている自由がなくなってしまった。自由な空間を期待してそこに行ってるのに、なんかガッカリだったんだよな。今でもフジロックに行っているのは、不自由なのがわかったうえで、じゃあどうすればいいかが少しずつわかってきたから。あのときのあの空気を求めてはいけないと、自分には言い聞かせている。


だから朝霧に行っても、そんなに期待はしてなかったんだけど、結論、面白かった。あの頃とはもちろん違うけど、朝霧にはフジロックと違うものがやっぱりある。ひとつは、ステージとテントがとても近いから気軽に外に出てライブを見れる手軽さ。もうひとつは、やっぱり好きな人たちが集まっているんだなっていうこと。フェスを作るのはやっぱり人なんだと、つくづく思った。フジロックTシャツとかを着てる人が少ない(というか全く見なかった)あの感じがいい。(フェスファッションがつまらない。という話はまた別の、ちょっと長い話になるので割愛)着るものって結構大事だよね。


来年以降、フジと朝霧だったら、どっちか選ぶとしたら朝霧だな。でも、自分の好きなIt's a beautiful dayがそこにあるかどうかは、やっぱり出演者にかかっているとこが大きいだろう。出演者目当ての客が割と少ない、地味めのラインナップだったから、自然と客が選別されていい客がほどほどに集まってたんだろう。人気バンドをまた呼んでしまったら、それはまた別のフェスになってしまいかねない。だから、今の時点では来年また朝霧に行くかどうかはやっぱり未定。